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環状7号線も無い、新中川も無い

江戸川区と接している部分はくっきりわかった

子供心には葛飾区は貧乏だったのかと思っていた

田圃なのに江戸川区は舗装されていたが

葛飾区は砂利道でところどころに

大きな水溜りがあった

これが3-4年もすると変わってくる

葛飾区_ページ_11

新中川放水路が出来て今日の川の様相になるが

まだ環七は影も形も無い

この地図は、葛飾区の小学3年の社会科の副読本で

葛飾区を学びます

葛飾区_ページ_02

右は、僕の小三のころ1959年ころ

左は3歳年下の妹のものです

隔世の感があります

まだこの頃は、平井大橋がありません

都心に行くには、堀切橋か四つ木橋(水戸街道)か

小松川橋しかありませんでした

千葉県へは、葛飾橋と市川橋しかなかったため

陸の孤島状態でした

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葛飾区は、子供の頃 東京のチベットといわれていた。でも僕にとってはいい場所でもあった。
東京なのに、田圃もあり池や川(どぶ)もあり自然がそのまま、夕方遅くまで真っ黒になって遊んでいた。
田舎から従弟が遊びに来て、がっかりされた(笑)仙台のほうが都会だったから。

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適当をテーマとしたブログですよ!

1件のフィードバック »

  1. 乙女 より:

    教科書が残っているなんてすご~~~い昔は葛飾区は蓮田があったのを覚えているけど・・・

  2. TIME TRAVEL より:

    教科書はもうないですが、この地図だけは古い机の引き出しに入っていたのです。見ることの無かった机の引き出しに。葛飾区は、子供の頃 東京のチベットといわれていた。でも僕にとってはいい場所でもあった。東京なのに、田圃もあり池や川(どぶ)もあり自然がそのまま、夕方遅くまで真っ黒になって遊んでいた。田舎から従弟が遊びに来て、がっかりされた(笑)仙台のほうが都会だったから。

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