東京駅が改修工事を始めてもう3年くらいになる

したの写真は、創建当時の南口のデザインである

太平洋戦争のとき焼けてしまい、無残な格好になってしまったが

創建当時に戻す改修が行われている

 

東京駅は、丸の内側・八重洲側ともに線路に沿って建てられているため、赤レンガ駅舎は幅が南北に320メートル、鉄道会館も南北に138メートルもある。ことに皇居・和田倉門から東京駅方面一帯を望むと、丸の内ビジネス街の見事な景観が見られるが、その景観の要に位置するのが赤レンガ駅舎である。2階建(竣工時3階建て)と背丈は低いが、その姿形から皇居に向かって堂々と東京のゲートとしての貫禄は十分である。 その赤レンガ駅舎は、大正3年(1914)12月に竣工した。♪汽笛一声新橋を~で知られる新橋駅は、この時から東海道線の起点を東京駅に譲り渡した。設計は明治建築界の大御所・辰野金吾。施工は、入札の結果大林組が担当した。赤レンガの華麗な駅舎はたちまち東京の新名所となり、当初は利用客より見物客の方がはるかに多かったという だが、この駅舎には過酷な運命が待ち受けていた。大正12年の関東大震災ではびくともせず、見事な施工ぶりが証明されたものの、太平洋戦争に突入して終戦も間近な昭和20年5月25日夜半の大空襲で被弾。たちまち炎上して、さしもの駅舎も焼け爛れ、見るも無残な姿をさらすことになった。 戦後、直ちに始められた復旧工事は、種々悪条件の中で鉄道当局、また施工の大林組などの関係者は頑張り、焼けた3階は解体されて2階建てに、円筒形だった南北ドームの屋根は角型にと変更されたものの、辰野の設計の面影は残された。また、歌舞伎座も建て替が行われるが今の建物は昭和25年に建て替えられたものだ、ここも戦災で消失した 創建当時の建物と趣が少々違っている

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次は、日本橋のコレドは、立て直す前は東急日本橋百貨店だった

東急がこの建物を購入する前は

白木屋百貨店だった

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日本の近代建築は、西欧の建築に負けず劣らずのデザインだった

日本の建築物は環境デザインとしては最低だ

せめて東京駅とか日本橋地域に関してデザインを整える

手法があってもいいでしょう

建築家はその建築物のみにかかわっているのでその部分は個性的であるが

町並みとしての建築はその町に調和していない

一番いい例は、西新宿の東京都庁だ。

新宿のあの場所で教会のような塔は必要ないでしょ?

TokyoTimeTravel について

適当をテーマとしたブログですよ!

1件のフィードバック »

  1. 泰男 より:

    和風鉄筋コンクリートってどんなモンなんですか???

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