この地図では二つの地下鉄が交差している。だが、その地図では地下鉄は遠く離れている。なぜ、このようなことが起こるのだろう。どちらの地図が正しいのだろうか。大手二社の地図に違いがあると気がついて、私は二冊を引き寄せた。これが東京の地下についての最初の謎、最初の疑惑になった。当初、私は一週間もあれば見当がつくだろうと思っていた。だが、一週間はすぐに一か月になり、三か月になった。

都心の地下について、まだ、私は何も知らなかった。結局、この謎が解けたときは半年が過ぎていた。その頃、私の手元には地下についての疑惑が山となっていた。この通路はなぜ大きく遠回りしているのだろう。地下街の中央になぜ唐突に段差があるのだろう。三つの高層ビルは資本も系列も異なっているが、なぜ、地下三階、地下四階の壁をそろって取り払い、巨大な地下駐車場を共有しているのだろう。

 いま、営団地下鉄(現・東京メトロ)には八路線の地下鉄がある。そのうちの七線が霞ヶ関、永田町に集まっている。都営地下鉄は四路線、そのうちの三線が浜松町をとおる。だが、霞ヶ関、永田町、浜松町という駅はとくに乗降客が多いわけでもない。そうすると、地下鉄はいったい何のために敷かれているのだろう。

 それからの一年、私は地下鉄各線の建設記録を読んだ。新聞や雑誌、専門誌の記事も集めた。地下街、地下駐車場、地下の名所などと言われるところを回り、首都高のトンネルも眺めた。それからは機会があるたびに地下鉄のトンネルに目を凝らした。

東京の地下の最大の謎、最大の疑惑は、この薄暗いトンネルにあった。

 地下鉄の上りと下りの線路は並んだり離れたりしている。その線路と線路の間には、コンクリートでつくられた壁や柱が立っている。壁とはいっても下のほうがくり抜かれ、向こう側の線路がのぞいている。長い年月を経てコンクリートが変色し、うすい茶褐色になっている。平板な柱はもう寿命なのか、金属で補強されているものも多い。
 いま、十一路線の地下鉄にこのような壁と柱がある。営団、都営の別もとくに見られない。

戦前の銀座線、戦後の丸ノ内線、七〇年代の有楽町線から開通したばかりの南北線まで、どの路線にも同じ壁が同じ間隔で現れる。しかも、同じように変色している。
「だが、そんなことがあるだろうか」
一九二〇年代、地下鉄建設の免許が出ている。すぐに工事が始まっている。当時の雑誌に「大洞窟、大管渠がつくられている」と投稿があり、専門家がすぐに地下鉄の解説をしている。この専門家が作成した平面図によれば、トンネルのなかにはコンクリートの壁が立てられ、線路がすでに敷かれている。大手町から日本橋へ、四谷から新宿へ、地下鉄はほとんど完成しているという。戦後の地下技術の革新はめざましく、よほどのことがないかぎり、トンネルのなかに壁を立てる必要などないという。必要はないにもかかわらず、地下鉄のトンネルには延々と壁が立ち並んでいる。戦前からある地下鉄は銀座線だけだとされている。他の路線は敷かれなかったという。

大手町から日本橋へ、地下鉄東西線は戦後になって建設された。だが、この区間に並んでいる茶褐色の壁は、私には、銀座線の壁より新しいようには見えなかった。

「国会議事堂は誰が設計したのか」
 いま、建築界を代表する四冊の事典は、ことごとく別の名前をあげている。
一冊めは「渡辺」、二冊めは「矢橋」、三冊めは「大熊と吉武」、四冊めは「大蔵省」だという。また、三冊の事典は国会議事堂の施工欄をカットし、最後の一冊には「施工者不詳」とある。しかし、国会議事堂は完成してからわずか六十年あまり、奈良や平安の昔に建てられた神社仏閣とは話が違う。設計者が確定せず、施工者も不詳と言われると、何らかの作為があるようには思えないだろうか。

 国会議事堂のとなりに建っている憲政記念館、国会図書館について、各事典はそれぞれ「地上二階、地下一階」「地上六階、地下一階」としている。国会議事堂は「三階建」とされていて、地下については何も述べられていない。だが、『帝国議会議事堂建築報告書』には、地階の図面が掲載されている。また、同書はこのフロアーについて「新たに地階を設けた」と説明している。
 丸ノ内線・国会議事堂前駅へと階段を降りていくと、突き当たりに薄暗い壁がある。
その壁の向こう側、つまり、駅の外の土砂があるようなところにじつは、エレベーターがある。この駅は改札が地下一階、ホームが地下二階とされているものの、このエレベーターでは改札の上の中地下階、ホームの下の地下三階へも行くことができる。
 千代田線・国会議事堂前駅の平面図を見ると、地下二階に議員会館への出入口がある。

一般の利用客がエスカレーターで一方の壁に寄せられているとき、反対側には広大な通路が延びている。この通路は国民には伏せられた地下鉄駅へと続いている。
この図面は三十年前に公表された。そのなかに最近オープンした南北線・溜池山王駅がある。
フロアーの形、地下通路、柱の数、階段、エスカレーターまで一致しているものの、階段のわきにあったエレベーターが撤去されている。南北線の開業時、そこには確かに妙な大きさの袋小路ができていた。
 数年前まで私はマスコミでニュースの編成をしていた。どのニュースが重要なのかを日々考えてはいたものの、
結局、個人の判断など遠く及ばないと思い知らされた。東京の地下の真実については、もう、私にはかいもく見当もつかない。

 東京の地下はいつから建設が始まったのか。なぜ、国民には伏せられていたのか。戦後、政府は黙々とその処理をしていたものの、一九六六年(昭和四十一)、再び、国民には存在を伏せた地下建設へと逆戻りしている。いまやその地下世界は想像を絶するような規模になっている。

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