旧道は阿武隈山地に沿うように走っています。

奥州街道(現在は国道4号線)と陸前浜街道(国道6号線)

奥州街道の宿場としては長町宿、

中田宿、増田宿(名取市)、岩沼宿があり、浜街道では亘理宿、

山下宿(山元町)がありました。これらの地域を津波浸水域図で

見てみると、宿場と街道のほとんどは

津波の浸水域からズレていることがわかります。

こうした事実を前にすると、江戸時代の街道は平場でも山裾に沿っている

ところが多いという一般的な理解で

済ますことはできないのではないか、と思われるのです。

平常時には気がつかなかったのですが、

あたかも大津波を想定して

宿立ての場所や街道の道筋を選んだのでは

ないか、とすら考えたくなります。

TokyoTimeTravel について

適当をテーマとしたブログですよ!

1件のフィードバック »

  1. abend より:

    なるほどね^^
    断層に道路を作るのが一番作りやすそうに思ったりしてました。
    昔の人は賢い!

  2. ○○泰男 より:

    9メートルの津波来ると苫小牧は壊滅するさ☺

    • TokyoTimeTravel より:

      ふーん!
      石巻市の渡波と言う場所では、山のほうから津波が来たそうです
      正面の海から出なく、反対がわの湾から山を乗り越えてきたそうです
      安心できないね・・・

  3. hidero futakami より:

    陸前浜街道沿線の福島県南相馬の出身ですが、お説の通りの、明治以前の干潟がすべて旧に復して海面に戻り、古い街道はまったく濡れてもいません。
    古人の知恵は、まことに千年の時間を見通していますね。
    わずか40年で破綻した原発行政もまた、40年帰れない故郷を失って初めて理解できたという結果でした。

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